昨日は、NLPの授業がありました。
毎回、授業の内容がとっても濃いので
いつも授業が終わると
それぞれにサッと帰っていくのですが
昨日は、ビジネスも一緒に学んでいる仲間と
少し話が出来ました。
実は・・・最近の私は
NLPの勉強もそうですが、ビジネスに対しても
なんとなく悶々としていたところがあって。。。
勉強不足もあって・・・NLPの授業も
上手く理解出来ない自分に対して
「ついていけてない」
「自分だけ置いてかれてしまう」
・・・って焦って空回りして
ビジネスの授業でも
みんなは、自分自身に課した課題を
ちゃんとこなして着実に手応えを感じているのに
「自分は課題さえもこなせてない」
「どうしてちゃんと出来ないの」
・・・って、1人で悶々として
歩みを止めてしまいそうになっていたんですよね。。。
そんな話をしていた訳ではなかったのだけど・・・
ふと仲間に
「いつも私たちをすごい!って言ってくれるけど
どちらかと言うと『出来てない』『出来なかった』って言う状態が
いいなって思う時がある」・・・って言われて
ちょっとビックリしたんですよね。
最初、何言ってるのか全く分からなかったけど
よくよく聞いてみると・・・
努力は、もちろんしているんだけど
課題をちゃんとこなして、特に問題もなければ
先生も
「ちゃんと出来てますね。大丈夫ですね。
では、次の課題に取り掛かりましょう」ってなる。
それは普通の事で問題もないし不満もないのだけど
でも、『出来てない』『出来なかった』となれば
原因を追求したり解決策にたっぷりの時間を割いてもらえるから
ある意味羨ましいと言うのだ。
そのように思ったり、考えたりした事なんて
私には全く無かったので・・・
そんな考え方に、少し驚きが隠せませんでした。
出来てない自分の為に
先生に多くの時間を割いてもらっているのって
すごく恥ずかしい事だと思っていたし
他の仲間の時間を無駄にしてしまってるって
申し訳ない気持ちしかなかったので。。。
でも、そういう考え方もあるんだなって思ったら
自分で自分をそんなに追い詰めなくてもいいんじゃないかって
思えるようになったんですよね。
そりゃ、いつも『出来ない』っていうのはダメだけど
時々出来なかったとしても
その時は、先生や仲間の時間を少しもらって
前進できるように助けてもらおうって。
そしてもし、仲間がそのような状況になった時は
私も仲間の為に時間を使おうって思えたんです。
NLPを学び続けて・・・
いろんな考え方や、自分自身とは異なる物事も
だいぶ柔軟に受け入れられるようになったけど
それでも、まだまだ
いろんな事に気付かされ、驚かされる日々の連続。
でも、昔の私は・・・気付こうなんてさえもしなかったし
気付いても、拒絶して受け入れるなんてしなかったなぁって。
まだまだ、出来ない事もあるし悩む事もあるけれど
いろんな事に気付く事が出来るようになって
柔軟に受け入れられるようになってきた自分自身が
ちょっぴりいい奴で・・・
そんな自分を、またちょっぴり好きになりました。
歩みを止める事なく、また頑張れそうです。
今回もまた
いろんな事に気付かせてくれた仲間に・・・ありがとう。